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2013年9月

2013年9月26日 (木)

ひとあしお先に

柴たんぽ

始めました。

らんぷ~的には足元の上で丸まりたい・・・・

こりは

拉致状態であるね。

001

雨の降る前は30℃だったのに

一日のなかで

雨が降ったあとは18℃とかになった。wobbly

気温差激しすぎ・・・・

この夏の終わりに

らんぷ~は体重が減少してしもーた。

過去あんなにダイエットしても減らなかったのに

現在9.3㎏

って

全然問題ない?

そーよね

本来ならフツウよね・・・・

獣医さんに

フェラリアの薬とかフロントラインとか

10kg以上の薬を処方されているのに

このまま飲んでいいのか

心配して電話で問い合わせたら

そのまま飲んで良いといわれた。

いや

だって

9.7㎏とかだったらまあ、いいけど

9,3㎏だったら気になるじゃないの・・・・

え?

全然問題ないって?

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2013年9月11日 (水)

あっけなかった

さて、最終章に入るぞ~~

私が青森に一旦帰ってたった二日で父は旅立ってしまいました。

前日まで煙草を吸ってご飯はもう飲み込む力がなかったものの

流動のゼリーみたいなものは嫌いといって

とんがりコーンを食べてたそうなwobbly

少し前まで自分でトイレにも行けていましたが

もう足の力も無くなって

生まれたての子牛のように足をプルプルさせ(妹が言ってた言葉デス)オシッコも間に合わないので

嫌がる父に看護婦さんがオムツをしてくれました。

近所に住む妹も、まだまだ長期戦になると

まさかそんなにあっけなくお亡くなりになるはずがないと信じて

オムツを沢山買い込んできたのに

たった2枚ほど使って逝ってしまいました。

(こんなものするぐらいなら死んだほうがましだ~~~!とでも思ったのでしょうか)

8月30日の21時30分妹家族や母、看護婦さん、近所の方に見守られ静かに永眠

暴れたり、吐血などもなく眠るように旅立ったとのことです。

次の日の土曜早朝

らんぷーままとパパさんでまた東京に向かう。

おばあちゃんのことは事前にお姉さんに言ってあってらんぷーままとパパさんが家を空けるときには家に泊まりこんでもらう

お願いをしていました。

らんぷーはというと

最初はペットホテルに預ける予定でしたが

いざそのときになると

不安で餌も食べない状態から見知らぬペットホテルに預けるのも

可愛そうだったので

2階部分から降りてこられないようにして(脱走防止)

↑普段のお留守番の時と同じ状態

フードをあちらこちらに置いて、水も大きなゆきひら鍋や器にあちこち置いて

オシッコシートも沢山場所を広げて

住み慣れたお部屋でお留守番してもらうことを決意。

3日ぐらいなら、頑張ってくれると信じて。

 

訃報の知らせで駆けつけたけれど

友引が入ったり、火葬場が混雑している関係で

通夜、葬式、が遅れました。

私は母や妹と葬儀社の人と打ち合わせをしたり、いろいろな準備で遺体のそばにいましたがパパさんはまた青森に帰りらんぷーの様子も見たり仕事もそんなに長くは休めないので

お葬式と火葬だけ出席するため日帰りでの東京⇔青森間を

朝一番と夜遅くの新幹線で往復

昔だったら考えられないことでしたね~~JRはやぶさに感謝感謝

自宅から葬儀場へと運ばれる時も

大勢のお友達(下町のおっちゃんパワー)が見送ってくれて

”ミノルちゃん(父の名前)、寒いとこ嫌いなのに可愛そうにな~~”と泣いてくれました。なんか可笑しかったcoldsweats01寒いとことは葬儀場の遺体安置の冷蔵庫のこと

通夜、葬式は50名程度で見積もっていたのに

100人以上も会葬いただき、沢山の人が泣いてお別れしいてくれました。

うん、なかなか生前顔が広かったんだな~~(仕事もしてないのに)

若い男の子もいて

生前息子のようにかわいがっていた、太鼓の教え子とかも来てくれました。

青森では

火葬を一番にしてしまうことと

通夜振る舞いなどが簡素化されているので

なんだかよく進行が違ってとまどった~~

さいごのお別れの花をみんなで手向ける場面では

家にあったカセット、”八木節”を流してもらい

御棺にはタバコとお酒と太鼓の法被や撥を入れました。

賑やかなはずの八木節が悲しみを大きくさせました。

本当にパタパタとあっけない最期で今でも信じられません。

傍らにいつもいた人を亡くした母は遺骨が部屋にありながらも、もっと現実をうけとめることができないでしょう。

今となっては

在宅ホスピスを選んで

最期住み慣れた自宅でお友達や家族に囲まれての旅立ちが

良かったと思えるようになりました。(短かったからそう思えるってこともあるでしょうけど、)

病院だったらできなかったこといっぱいあったね。

お母さんや家族に負担をかけないように(なのか?)

大急ぎでお空に逝ってしまった父

なかなかやるじゃん

ありがとう

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もう痛みも苦しみもありません。

頑張りました。

お疲れ様でした。

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安らかにオヤスミナサイ

合掌

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2013年9月10日 (火)

一緒に過ごした一週間

電話で毎日母から父の様子を聞いていても

あまり緊急という感じがしなかったけど

明らかにのんびりしている場合ではないことと

父の容態が昏睡状態に入ってからでは私は時間的に間に合わないと思ったので

モルフィネ大量投与の前に

慌てて東京に行きました。

うわ===おっ!

暑かった。

普通の人でも暑さで負けるんだから、病気の人はいつ命が奪われてもおかしくない気温だった。

特に寒冷地体のらんぷーままには堪えました。

私の顔を見るなり父は

"青森から来たの?婆さん大丈夫なの?”と吃驚して目を凝らしていました。

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(↑駆けつけた頃)

(らんぷーまま)そうだよ!お酒も飲みたくないって飲んでないって聞いて

吃驚して飛んできたよ。私は間に合わないからさ~~~あははは。

ウウッ・・・酷い娘

電動介護用ベットのリモコンをいじって高~~くしたり低~~くしたりしながら

嬉しそうに遊んでいました。

全身が痛いというわりには

強い痛み止めや鎮痛剤(モルフィネ)でわりと穏やかに休むことが多くできました。

看護婦さんや医師、薬局のひとが入れ替わり立ち変わり出入りし

また、近所のお友達や、遠くの親戚が毎日のようにお見舞いに来てくれ

励まされ嬉しそうだった。

その反面

夜は壮絶な戦いでした。

母は時々眠っていましたが

私は一週間ほとんど眠れませんでした。

夜中に朦朧とした状態で煙草を吸うのです。

”おい、たばこ”と呼んでもらえるように

私は煙草とライターを自分の枕元に置いたり隠したり・・・・

時間稼ぎをしたものです。

”なんで煙草、ここに置いとかないで、いちいち何処かにもっていくんだよ~~”

と父は怒っていました。

”昼間はいいけど夜はうとうとして危ないからね。火事になったら団地のみんなにも迷惑がかかるからね”

と言い聞かせて煙草を一本吸い終るのを見届けた後、咳き込む父にモルフィネを無理やり飲ませ眠らせました。

(モルフィネのんで煙草吸ってるってなんか変すぎ!)

まあ、先生ももう好きなようにさせろというので・・・・

普通入院してたら

看護婦さんが注射か点滴で投与し、沈静させるのだろうけど

在宅ゆえ、家族のものが無理やり口に入れるしか方法がありません。

そのたびに(モルフィネを飲ませる度に)私は罪悪感で一杯でした。

 

母もこんなことなら入院した方が良かった~

なんて初めて事の重さに気付きかけていました。

父の容態は一日単位で見る見る悪くなりましたが私は一旦青森に帰りました。

私が帰る日の早朝

トイレにいたと思った父は全裸でお風呂場でシャワーをするのだと

浴槽の細い淵に腰掛けて朦朧としていました。

慌てて、シャワー欲、石鹸で身体を洗いアタマもシャンプーして

拭きながらベットにやっとの思いで休ませました。

前日、ケアマネージャーや看護婦さんとの話で、自宅のお風呂は体内の酸素が

欠乏しているので、危険、無理と訪問入浴の進めを受けていた矢先のこと。

私は

"看護婦さんじゃないとお風呂には入れないんだよ~~家では駄目なんだよ~~”

と泣きながら洗った身体を拭きました。

父さんはトロンとした目でお母さんに”らんぷーままはなんで泣いてるの?”

”もっとゴシゴシ背中擦ってもらいたかったな~”

とか言ってた~~~

母は

"心配で青森に帰れないんだってさ~~!何やってんだよっ!”

と父を叱っていました。

そんなことも

いい思い出になりました。

一週間でも一緒に居られて幸せでした。

 

その頃

らんぷ~はといえば

暗くて狭いところにひきこもり餌も食べない水も飲まないで

ブルブルと震えていたそうで

パパさんが無理に首輪をつかんで引き寄せようとしたら

パパさんの右手も左手もガブガブと噛み千切り

パパさんは血だらけになり、こんなことは今までなかったので落ち込んだそうな

パパさんおろおろしながら、ネットで調べたら

不安でおびえているときにそういう無理やりな行動をとると

凶暴になる

一番やってはいけないことをやってしまったとパパさん猛反省していました。

パパさんもご苦労様でした。

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2013年9月 9日 (月)

お久しぶりになりました

ご無沙汰しております。

なんとも目まぐるしい3週間でありました。

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こりは

6年前のらんぷーままの実家でらんぷ~と爺ちゃん(らんぷーままの父)

最初で最後の記念写真

もう一回だけ逢いたかったな   byらんぷ~

父は17年前に肝炎から肝細胞癌、肝硬変と診断されて

あと5年の命だの、もうだめだとか言われながら

入退院を繰り返して17年もの月日

↑テーブルの上をみてもお分かりのように

お酒と煙草と高塩分を止めることなく

私が里帰りをしても健康な誰より元気でホントに癌患者かよ?

誤診なんじゃね~の?

というぐらい元気でした。

好きなお酒も煙草もお祭りも全然摂生しないでこんなにも長生きできて

病院の先生もこんな人病院始まって以来希少な患者だと呆れたり感心したり

肝臓は沈黙の臓器なので痛いとか感じない分何かを摂生する必要がなかったのかもしれません。

甲子園の決勝戦の頃でした。

いつものように

病院にお薬をもらいに受診した際

検査の結果の数値が悪く

いきなりの死刑宣告をうけ

その場で入院かあるいは在宅ホスピスをせまられる老夫婦

そう言われても~~~

みたいな実感のない老夫婦

足の付け根が痛くて足が上らないから

受診したついでに整形にも行ってみようなんて受付をしようとしたら

看護婦さんに見つかってまた内科の主治医のところに連れて行かれて

これは整形受診というより

リンパ節による骨転移で末期の症状なんです。と

説明されてもまだ信じてない二人でした。

この場合の入院とは今までの治療のための入院ではなく

最期の場ということなのでしたが

母はまだのんきに

んじゃ、私が毎日病院に付き添ったり、泊り込んだりも大変だから

在宅で療養にしよっかね

みたいなノリで在宅ホスピスを選択してしまいました。

アンタひとりでどーーやって家で看取るんじゃい!wobbly

できるわけがね~べっ!typhoon

末期の最期は暴れたりするひともいるし

脳症の症状が出ると昼と夜がひっくりかえったりお母さんは一睡もできなくなるんだよ

私が怒りまくってみてもあとの祭りです。

(母)だって呼べば24時間対応で看護婦さんも来てくれるっていうし

往診もしてくれて薬も届けてくれるんですってよ

なんて

どういうことか全然わかってない老夫婦

父はまだ少しは歩けて自分でトイレに行っているのに

電動の介護用ベットが自宅に運ばれ

それがどういうことかもわかっておらず・・・

モルフィネもばしばし使うというので

少しでも話のできるうちにと

私は急いで父さんに逢いに行きました。

母は”まあ、なんて気が早いの?まだまだ大丈夫なのに”

そんな感じでした。

 

どうやって記事にするか

あまりにあっけないお別れに

まだ気持ちの整理がついてないのですが

書かないまま、前に進めないので

少しずつ書き進めながら、また元気ならんぷ~の日記に復活しようと思います。

何日かは重たい記事になりますが許してね。

カレンさん、akikiさん、シュークリームさんへ

留守の間、頂き物が届き、お礼の返事が遅れてごめんなさい。

一気に書くのも辛いので

一旦コマーシャル!

あ、らんぷ~はどうしてたのかも、のちほど。

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